関西看護業務研究会は、医療・看護の質の向上のために様々な問題提起を行いながら情報発信・セミナー運営・コンサルタントなどを行っていく活動行っています。

  関西看護業務研究会(KNWS)

代表 

浦 雅司                    

 
 MAPだより
 MAPだよりとは、コアメンバーが個々に思っていることや、自分自身の近況などを自由にまとめたもので、コアメンバーひとりひとりの看護・介護に対する熱い思いが綴られたものです。
 
  最新号
 

テーマ  現在の周手術期看護の問題点

明日から、違う職場で働きます。
今まで、手術室中心だったので、今後の自分の活動の幅を広げるため、あえて病棟で働くことにしました。その病院では、病棟以外にも、外来、救急外来、手術室など自分の業務は、多岐にわたる予定です。
また、一からの勉強の部分も当然あります。でも、なぜ今からそんなことをわざわざするのか?

今、手術室には、いろんな問題点があります。
それをどうにかするためには、『連携』『継続』をどのようにするかがキーポイントだと思っています。

周手術期看護という言葉があります。これは、手術を受ける患者さんに対して、手術前、手術中、手術後と三つの期間を通して、高度な判断を行い、直接的な看護を提供するものと定義づけられています。すなわち患者さんにとっては、外来で手術が決定した時が、周手術期の始まりなのです。

昔は、手術を受ける患者さんは、手術前はある程度早くから入院されました。それによっ...て、医療従事者とかかわる時間がある分、不安や疑問を解決する時間があったのです。

しかし、今は入院は手術前日、もしくは当日とまったくと言っていいほど手術前の医療従事者とのかかわりがないのが現状です。
術前期看護というのがあるのに実際は、ほとんど看護らしきことは行われていないのが現状です。

『連携』『継続』が必要な理由は、今や手術室看護師だけでは、周手術期、特に術前期、術後期には患者視点に立った時、十分な看護ができなくなってきているということです。
だから、外来、手術室、病棟が『連携』『継続』という観点で看護を行っていかなくてはならないのです。

お互いに何ができるのか、できることは必ずあるはずです。それを追及、実践するための職場です。

頑張ります。すべては患者さんのために。。。
  

  

テーマ あなたはどこで死にますか

 あなたはどこで死ねると思いますか。自宅で家族に見守られながら、やすらかに息が途絶える・・・・なんて幻想をもっていませんか?日本で亡くなられる高齢者の80%は病院のベッドで医療機器に囲まれてあの世に逝きます。もうそろそろお迎えが来る頃ですよ、と教えてはくれますが正確に何時何分までは分かりません。

 家族の方が結構永く付き添ってもうそろそろだ、もうそろそろだと思いながらでも案外しっかりと息をしているので、疲れたし今日は大丈夫みたいだから帰りますと家に着いたころに、電話が鳴って先ほど息をひきとられました。ああそうですかいまから向かいます。こんな事はしょっちゅうです。
 
 家族に看取られず医療機器に見守られてあの世に逝くことの方が多いでしょう。まあいずれにしても死ぬのは病院のベッドの上です。
 
 それはそれで仕方ないのではとも思うでしょう。しかし辛いのはその前なのです。その前、つまり自分の意志で体を動かすことができなくなってきたときから、意識がなくなるまでの間の辛さは、想像以上のものがあります。

 80歳90歳になってもういつ死んでもいいと本人は思っていますが中々思うようにはなりません。入院してから体が思うように動かなくなりやがて意識がなくなるまでには、食欲がなくなる、点滴などの人工栄養で生かされる、人工呼吸器で生かされる、意識がなくなりやがてご臨終です。 
 
 高齢者が食欲がなくなり微熱がある。病院に行けば安心だと誰もがそういいます。しかしその安心は家族の安心です。高齢者の安心でないことだけは確かです。高齢者は病院に入院なんかしたくないのです。

 自宅で自分の寝間で、寝ていたいのです。それを無理やり病院に連れて行きたいのは、子どもであるあなたです。それはなぜ?長生きしてほしいから・・・・嘘ですよね。家で寝込まれると、おしっこ、うんこ、の世話を誰がするのか、食事はどんなものを?おかゆと・・・何がいいのかわからない。熱が出たらどうしたらいい。手っ取り早く解決するなら病院です。

 そして周囲の人、親戚から後々責められるのをあらかじめ防ぐためですね。「早期発見、早期治療」が合言葉になってとにかく診てもらえ的な考え方に洗脳されています。自分を守るためにはそうすることが第一なのですよね。誰も高齢者のことなんて考えてはいない。

 実はここが運命の分かれ道なのです。このときにしっかりと高齢者が自身の意志を持っているのといないのとでは人生が180度変わるのです。

 80年90年生きてきて今更数カ月生きながらえてどうするんです。それを望むと思いますか。誰も望みはしません。入院中の方々とよく話をしますが、皆さん口をそろえて「もういつ死んでもいい。できればあの時に死ねたのに」と残念そうに言われます。「そう、残念でした」とは言いませんが「あなたがしっかりと気持ちを告げていないからこうなるんですよ」と思っています。

 あなたも想像してください。90年生きました。体が思うように動かなくなり検査結果も悪くなっています。そこで家族が呼び出され医師から治療をしましょうと云われて家族は「お願いします」と承諾します。実際その治療を受けて、何カ月命が延びるのでしょう。そこまでは考えないのでしょうね。やるだけのことはやった。あとで(つまり本人の死後)親戚や町内の人たちへの説明するときに、堂々と云えるからです。

 またその際医師から「延命処置は望みますか」と聞かれます。「延命処置?」これは息が止まった時に口から喉そして肺に管を入れて人工呼吸器に接続し強制的に息をさせる器械です。これは法律では一旦装着すると心臓が止まるまで止めることは許されていません。止めるとそれは、殺人行為に相当することになるからです。これに同意しない場合は、心臓が止まった時が「ご臨終」の時になります。

 多くの場合後者を選ばれます。人工呼吸器につながれると、数年は生きながらえることもありえます。

 自分の生き方をしっかり持つこと。それは治る病気も治らない病気もあります。いずれにしても自分はどうしたいのか、を常日頃から家族親族に伝えておくことです。治る病気でも自分はこのままでいいということを。

 

 

  
 

  第1号

 入院患者の多くは、80歳を超える方がめずらしくなくなっている。K氏85歳男性、左腕に刺青(女性の名前)がある。右足は二ヶ所の陳旧性骨折があり左の片麻痺。唯一自分で動かせるのは右腕だけ。K氏も長期入院のためごたぶんにもれず仙骨部に褥瘡ができ、持続吸引中である。

 男性ナースが声をかけても「うー、うー」と声にならない。痛々しい表情。「辛いの?」と聞いても「うー、うー」苦痛表情。2時間毎の体交、体はやせ細り自分で体を動かすこともできない。右を向けられたら、ずーと右を向いているだけの生活。テレビをつけましょうか?と尋ねても首を振る。目を閉じ活気は感じられない。ピンクのカーテンをジーと見つめるか目を閉じて過ごすだけ。

 施設からの入所のため家族の面会はもちろんない、唯一施設の職員が来られるだけ。85年生きてきて最後はこの状況か!とやりきれない思いがつのる。食事はセッティングすると座位の体位を自分で保持することもままならない状態で右へ右へと傾きつつ、スプーンで口もとに”おかゆ”を運ぶ。エプロンの上は食べこぼしが・・・そんなことにはお構いなし。必死の形相で食べる、食べる。
 ある日、若いナースがK氏に近づき「おっはよー」。明るい声。するとK氏、ニターと笑顔,唯一動く右手で、投げキッス!!
85歳、男には興味ない。食べることと、若い女性に執着。生きるとはこういうことか!と思い知らされた。
 ある日のMAP定例会でK氏の事を取り上げた。85歳男性、自分で動くことすらできず、面会もない。一日目を閉じ何を思って生きているんだろう?生きていることは彼にとってどうなんだろう?するとMAPコアメンバーの中でも古いN氏が「あなたが20代のとき、40代の人を見てどう思った?」「そうですね、おじさん?かな、生活にくたびれた人」「60代の人は?」「うーん、・・・・」「今、あなたは40代ですよね、どうですか?」「・・・・」「判らないですよね」その人が生きていて、幸せかどうか、どういう生き方をしているのか。それはその人でないと判らない。あえて言うなら、他人がとやかく言うことではない。と
 

MAPは日常の疑問というより”わだかまり”を打ち明けることからはじまる。答えを求めるのではなく自らの心の在り様を、メンバーと共有しメンバーの言葉を心に留め再び臨床に向かう。

 ある時、メンバーから「転倒を防ぐために抑制をしているけれど、そこまでして転倒は防がなければならないの?」と問いかけがあった。抑制は患者の体と心を縛る。臨床の我々の心にも大きな影響を与えているのではないだろうか?そういう思いを込めて、メンバー一人ひとりが転倒で発生する大腿骨頚部骨折の例をあげて、日常生活、入院時、手術、理学療法、退院までの一連の流れをまとめた。このようにMAPはセミナー形式ではなく一人ひとりがどう感じ、どう実践に活かして行くかを考える会である。メンバーは、看護師・介護福祉士・理学療法士・臨床哲学・社会学・法律家などさまざまな分野から参加されている。
 
  

  第2号

 MAPに参加するようになって、まだ1年にならない。参加のきっかけは、元看護師である職場の同僚に誘われたこと。その同僚がおもしろげな人だったので、その人が誘うところなら何かおもしろげなことがあるんじゃないか、と思ってついて来たら、そのまま居ついてしまった。あんまり様にならない理由だが、まあ、中にはこんなメンバーもいる。

 そもそも、私自身は医療者ではない。社会学という、名前だけではなんだかよくわからない学問の、駆け出しの研究者だ。医療についてはさっぱりなので、「素人」として毎回おじゃましている。当然、私にはわからない医療用語が(しかも略語で)飛び交うこともあり、いつ「・・・それ何?」と聞こうかとタイミングを計ったりしている。

 そんな私がなぜ、MAPに居ついてしまったのか。理由のひとつは、医療現場についてナマの話を聞くことができて、しかもそれに対する自分の疑問や意見を聞いてもらえるという機会が、私にとって貴重だからだと思う。MAPでは、「現場のこんなところに、自分は違和感がある」「もっとこうしたいのに、現場では難しい」といった話をオープンにやっている。それに対して私は「なぜ?」と尋ねることができる。私のような医療の素人にとっては、まずそうしたナマの話を聞く機会がないし、あるとしてもテレビや新聞からの一方通行が多くて、疑問を感じても質問したりはできない。さらに素人が医療にかかわるのは自分や家族が病気になったときなので、そうなってからでは、ますます「医療現場の問題」についてなんて(いろんな意味で怖くて)尋ねたりできない。
 MAPは、今のところ、私にとって「ここでしかできない話」をする場所なのだ。
実は「ここでしかできない話」をしているのは、他のメンバーにとっても同じなんじゃないかと思う。医療現場の人たちだって、「ウチのここが問題だと思うんですよ」なんて話しは自分の患者さんにはできないし、同僚など職場の人にはもっと言えなかったりするだろうと思うからだ。MAPでは、同じ専門職としての立場から、素朴な質問もできるし、専門的な意見交換も、管を巻くことも(!)できる。そういう意味では私のような素人がまざっているのは、もしかしたらイレギュラーなのかもしれないが、医療現場の人たちにとっても、医療現場の実情を説明した上で素人の反応を聞くという機会はあまりないだろうから、それだって「ここでしかできない話」のひとつだろうと思う。

最近のMAPでは、「マニュアル」が話題になっている。患者として考えてみると、型どおりという意味でのマニュアルどおりの対応はしてほしくないくせに、心身にかかわることなんだから勝手にやらないでマニュアルどおりにしてくれないと困る、という気持ちも持っている。勝手なものだ。医療者にとって、患者にとってマニュアルって何なのか、「ここでしかできない話」を、ゆっくり続けていきたい。
  

  第3号

みんな一緒

 最近できた公園に行くと何か妙な感じがする。一歩足を踏み入れるとどこかで経験した感触、あわてて触れてみると昔働いていたデイケアの床のように転倒しても大きな怪我をしないようにショックを吸収してくれる素材をひいているのである。こんな公園が当たり前の子供たちはどんな身体になっていくのだろうか。

 年をとるに従って髪の毛が抜けてきたり、皺が増えたり、背中が曲がってきたり、大なり小なりの変化をしながらも、常にこの体はどこか一本芯が通ったようなところがあると思っていないだろうか。

 色んな影響を受けながらもいつも自分が感じている疑ったこともないその体のあり方はどこか世の中の変化をさしおいて、信頼できるところがある。

 しかし、そんな身体もデジタルカメラの進歩により色を識別する力が、あざやかでクッキリとした写真であると感じる基準が急速に変化していることを指摘している写真家がいる。

 見ることに関わる身体のあり方が自覚しないうちに、ものすごい速さで変化していると、いちいち意識したり言葉に出したりしないが、私たちの身体のあり方は自由であると思っている。しかし、いつもより膝をうんと曲げ、がに股で小刻みに足を運ぶと途端に周囲の視線を集めてしまう。笑いを誘ったり、反対に無視される。随分ときちっとした動き方の中で動いているのである。だからこそ、全部語らなくても私たちは様子で分かるのかもしれない。

 だが、今その身体性が本当に変化しているとするならば、そしてみんな同じだと思っていた身体性が、そうとうは思えない事態になった時、我々はどのような立ち振る舞いが可能なのか。あるいは話しかけることすらできなくなるのか。転倒しても怪我をしない子供たちとの身体の違いを考えながら思ったことである。
  

  第4号

 介護福祉士である僕は、介護老人保健施設で勤務をして9年目になります。
 

 最近、職場の同僚に対してのストレスが大きく、モチベーションが下がりっ放し・・・。愚痴も言うことが多く、自分自身の考えも分からなくなることも多々有ります。
 自分たちは専門職として本当に高齢者介護を行っているのだろうか?専門職として恥じないケアを提供できているのだろうか・・・?僕自身スーパー介護福祉士ではないのですが。にしても。
 例えば、食事介助が終わった利用者の口の周りは汚れたまま。起床された利用者の顔を、介助で清拭しているはずなのに目やにが多く寝癖のまま。

「一体何を介護したんや!?」「専門職じゃなくても、不自然に思わんか?」等など。そんなこと、専門職としての介護ではないやろ!と・・・。「せめて、それぐらいは気付けよ!」「専門職以前の問題やろう!」と思うことが多く、指摘しても返事だけ。改善されたと思っていても、それを維持させることが出来ないことへの憤り。
 そんな不満を抱きながら、月に一度のMAP定例会への参加。参加者で介護福祉士は僕だけですが、それでも他職種の方からの話を聞く中で、アドバイスをもらってはモチベーションが上がり、「頑張ろう!」と元気になれる場があるだけ「俺はまだ恵まれているのかな」と思います。

専門職として、知識と技術が必須の高齢者介護の現場ですが、介護職員と利用者との関係ではなく、当たり前のことですが人対人との関係であることを考えると、もっと良いケアが自然と出来るのではないかと最近思えるのです。

初めて高齢者介護に携わった時に感じた「疑問」「不自然に思えた光景」それがいつの間にか慣れへと変わり、「何も感じなくなるようなことがないように!」と自分自身に言い聞かせて、ネガティブに感じていたストレスをポジティブに考えようと。少し長い独り言でした。
  
 
  第5号
 

 看護師になって、20年目になった。「早かったなあ」っていうのが実感である。しかし、最近悩む事が多くなった。この20年で医療界は大きく様変わりした。患者中心と言いながら、蓋を開けて見ると、毎日毎日業務に追われているだけの様に思う。

 最近よく「看護って何?」って考える。看護とは看て護ると書く。患者を看取り護る事。果たして今の看護界にこの理念というかこの意味を理解し、実践しているところがどれくらいあるのだろうか?今日の臨床現場に於いて、患者を看ているだろうか?護っているだろうか?
 今こそ、本当の意味での看護というものを考え直さなくてはいけない時期に来ているのではないかと思う。
私事ではあるが、私の父は、くも膜下出血で倒れて、クリッピング術、V-Pシャント術の後、2回の脳梗塞で現在寝たきりの状態である。嚥下困難もあり、経腸栄養で余生を送っている。看護はというと、在宅である。いろいろな方々の援助を受けながら...。在宅開業医、在宅看護師、ホームヘルパー、歯科衛生士、などである。母は在宅が良いという。

何故か?母は、「今の病院には、看護はない!」と立腹するもともと痰が多くて自宅にいても吸引は欠かせない。年に一度は肺炎で入院する。それはすでに慢性的なもので、皆さんの手厚い看護や援助をもってしてもダメな時がある。
しかし、病院に入院すると、寝たきり、皮膚はカサカサ、オムツかぶれ、褥創、挙句の果てに「早く帰ってください」と母を見るたびに主治医。でも、これが現在の医療の現実・病院看護の現実。

 退院してきて、父の姿はみすぼらしい。髪の毛はテカテカ、ボサボサ、無精髭が生え、皮膚に張りはなくカサカサ。口の中は分泌物でいっぱい。

 まず、保清、褥創の処置から人間らしさを取り戻していく。髪をとかし、髭を剃り、肌に艶が出てくる。褥創が治癒する。歯磨きをし、まだ多く残る自慢の白い歯を覗かせる。

 父が退院してきて、いつも思うのは、看護師って何?専門性って何?日本の看護はこれで良いのかということである。

 昔は、「褥創は看護師の恥」と言われた。しかし、今は、褥創を作らないということよりも出来た褥創をどう治療し、どう管理していくかということで、褥創回診などということが行われる時代になった。そのためにまた書類が増えた。褥創だけではない。転倒転落にしてもそうである。これにも書類が必要となった。何故このようなことになってしまったのか?

 確かに、現在では、医療費の削減、医療の透明化ということでの情報開示や医療事故の表面化など医療そのもののあり方まで問われるようになり、医療現場は、決して昔のようなどんな病院でも患者が来るという時代ではない。生き残りを賭けた厳しい時代になってきているのは事実である。その中で、患者は、顧客となり、診療点数の多さで選別されるようになり、質よりも数になってしまった。そこには、慌ただしさと共に医療事故のリスクを高めた。そこで病院を守るために、各種のマニュアル、承諾書、各種評価表などの記入、ブランドのようになってしまった特定機能病院の称号など、患者サービスの向上、看護の質の向上などといわれるが、実際は患者さんよりも病院を守る医療へと変わってきたと思う。

しかし、このような時代になったからこそ、人間対人間のかかわりから生まれる看護というものを、今一度見つめ直す必要があると思うのである。知識・技術にとらわれるのではなく、病気になり、治療後社会復帰される患者さんにも、治療の甲斐なく病院でその生涯を閉じられる患者さんにも、その人の生涯が悔いなく終えるようサポートするのが看護師の役割であり、看護の専門性だと自分は考えるのである。 
 そこに慌ただしさや医療従事者主体の医療があってはならない。患者さんとのコミュニケーション無しに、ベッドサイドナーシング無しには、看護は絶対にありえないと思うのである。
 看護には、その人の人間性はとても重要であると思う。誰もが持つ、人に対する思いやりや優しさが最も重要であると思っている。それは自分自身が余裕の無い状況では、相手を思いやる余裕も無ければ、優しさを持って対応することなど不可能である。しかし、今の看護業界はそうではない。患者さんから「しんどそうやね。大丈夫?」と声をかけられることが多くある。これでは、看護なんてあったものではない。このような状況からは1日も早く脱却したい。その為には、個人個人が意識を持って取り組んでいくことが最も大切であると思う。そして、それを後輩に伝えていくことによって今後看護は変わっていくと確信している。

 ただ、現場の看護師がいくら思っても実践しようとしても限界がある。なぜなら、組織自体がそうではないからである。組織のトップはもっと現実を見るべきである。どうしたら、看護師一人一人が余裕を持って患者さんに接することが出来るのか?ということを...それが看護の本質であることを...
 
 看護は、決して机の上で出来るものではない。患者さんとの関わりによって初めて達成できるものである。
 
  
 
  第6号
 

手術室看護師になり8年目に突入した。

 手術室の中では師長より古いスタッフになってしまった。いわゆる、師長から見れば目の上のたんこぶ的な存在だろうとすごく感じる。
 ちなみに、スタッフの人数は師長を含め6人、手術室2部屋でまわっている規模的にはとても小さい病院である。しかし、そのうち一人が妊娠、もう一人が年齢は高いが新人という6人になった。
  
 これはヤバイと感じた時、二人の看護師が、上の人達は何を考えているのか補充のことも考えているのか、師長は解っているのかという文句が遂にやってきた。相談の結果、師長はいつも私達が文句を言っても変わらないので部長のところに行くことにした。

 無論行っても、人を増やすにはデーターを採れ、経営会議では・・・と言われ、貴方のところの師長は・・との発言に遂にキレタ!師長を教育するのはあなたでしょう、それに現場の事も判らない、手術室にも来ないのに、何を言うとるねん、あなたは、部長じゃなく経営者やなーと捨て台詞を吐き部長室をでたが、それ以来看護部長とは会話をしていない。愚痴になってしまったが、思うことは、手術室って病院にとってどういう存在なのか、手術室を解かっているのか、不思議に思う。病棟の基準が満たないからといい、7年目のスタッフを病棟にいかせたり、外来勤務、危うくホスピスの応援までも行くところだった

 会議の内容は病棟主体で、出席すれば解らず、欠席すれば部長に文句をいわれる。例えそんな感じでも、何かを変えたい、何か無いかと、MAPに参加させてもらい、様々な意見を聞き、すごく元気を頂いているし、励みにもなる。

 今後は、手術室のイメージを変えていく事、患者様がさらに安心して手術を受けれるように、様々な事に取り組んでいき、なおかつ、自分自身がまだまだ成長していきたい。これからも、宜しくお願いします。